父親の想い①『父親というもの』
「父親というもの」
byトラビス・スタッフォード
息子のジョージは7歳でウィルムス腫瘍と診断されて、父親としての認識が変化しました。「父たるもの、家族を守り、頼りになる、一家の大黒柱であるべき」と思っていました。しかし、「肩の力を抜いて、ただそこにいるだけでいい、恐れたり感情的になっても大丈夫だ」ということに気づきました。
7歳の誕生日の直後に、息子のジョージは数日間、腹痛を繰り返し訴えました。私と妻はジョージを小児科医に連れて行きました。担当医が目に涙を浮かべているということは、決して良い知らせではありません。何かひどく悪いことが起こっている、とすぐに分かりました。ジョージが診察台の上に横になると、彼の右側に沿って15㎝ほどの長さの突起物が見えました。病院で私たちに伝えられたのは、白血病ではないことと、できるだけ早く、560km離れたユタ州の小児専門病院に行かなければならない、ということでした。
感覚を失ってしまいました。そして、情報のすべてを飲み込もうとしました。その週は、検査があり、医師、看護師、検査技師、ソーシャルワーカーと会いましたが、記憶はあいまいです。
最初のMRIの後、「おこさんはがんです」という、忌まわしい言葉を耳にしました。ジョージは、小児の腎がんの一種であるウィルムス腫瘍ステージ3と診断されました。
手術を受ける前に、左腎のフットボール位の大きさの腫瘍を縮小させるために、ジョージは2ヶ月の化学療法を受けました。手術の後、同じユタ州にあるがん研究所で化学療法と放射線療法が交互に行われました。
遠く離れた病院での長期滞在や家族の生活維持には、多くの人のサポートが必要です。私の場合、プライドを捨てて外部のサポートを受け入れることが、一番難しいことでした。父親である私が主導権を握っていたかったのですが、できませんでした。主導権を握っていたのは、がんでした。
ありがたいことに、1年の治療後、ジョージは自宅に戻ってきました。振り返って、患児の父親であるみなさんと、次のことを共有したいと思います。
がん患者の母親同士は、強い絆を築き上げています。父達にもその絆は必要です。泣いても怖がっても大丈夫です。地元やSNSなどで、小児がん患者の父親のグループ見つけて、話しをして、みなさんの気持ち、怒り、知識を共有してください。父親は忘れられていると思います。人々は常に「奥さんは元気? おこさんは?」と聞いてきます。多くの人々は父親の様子を尋ねません。
こども達がこんな目に遭うべきではないんです。でも、自身のこどもや孫が病気になるまで、誰も小児がんを気にしません。今こそ変わる時です。ジョージは元がん患者ではありません。彼はがんを克服している最中です。ジョージが受けた治療法も、いつの日か、がんを発症させるかも知れません。恐怖を少しは感じています。でも、私は前に進み続けます。